錦織 清
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氏名 | 錦織 清 |
士会役員歴(西暦) | 1984-1994年 県士会長(5期:1992年 士会20周年記念式典) 1989-1991年 代議員(士会代表)
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①県士会の思い出
島根県理学療法士会(以下、PT)は昭和47年(1972年)玉造病院において初代会長に太田氏を推挙し発足したのが始まりである。あれから半世紀、私も傘寿(82歳)を迎えた。薄れゆく記憶もまばらでも昭和63年(1988)第23回全国研修会を40名弱の会員で開催できたことは忘れ難い。特に県民会館での閉会式では千数百名がひしめく凡景を見て隣接の松村会長(当時の)と目を合わせホットした事を思い出す。当時は明かせなかったが、"事あれば私財を投じる"覚悟の闘いだった。この島根での開催が今迄全研を避けていた少士会に衝撃を与えたと後に知らされた。
②これからの展望や期待
県中央病院を離職して20余年になる。その後のPT士会情勢は全く分からないので、四半世紀を振り返る。昭和57年(1982)老人保健法が制定され目前の高齢化に備えての事、既に島根県は全国一の高齢県で、2千年には4人に1人が65歳以上になると予測され各地で病院・施設の増築と共にPTの不足が浮き彫りとなる。県士会としても抜本的対処すべく、県庁医務係を訪問し、学校・大学新設の要望と当時県出身学生に支給されていた助成金の増額および受給枠拡大を毎年度始めに陳情していた。
*期待(要望):毎年県庁訪問とコミュニケーション。「士」から「師」へ。PTと政治家(or連盟)
③島根県理学療法士会へのお祝いメッセージ
士会創立50周年および法人化10周年を迎えられ、おめでとうございます。前人として嬉しくお祝い申し上げます。理学療法士法が昭和40年(1965)に公布されて以来57年を迎えた。当時のPTはマッサージ師と思われ一部の手技として用いる事の説明に苦慮したが今は領域が確率されていると考える。また近年、TV、新聞等のマスコミにも取り上げられ、先日の甲子園閉会式挨拶に理学療法士の職名が全国に流れ感動した。
法人化は、在籍時代に東京・大阪・等の大士会から呼ばれたが小士会では馬耳東風のごとし、それだけに大人になった会に嬉しく思う。